福島県小野新町:殿町遊郭11「目抜き通り探索」


前項で斎勝を発見しました。引き続き調査します。
遊郭のメインストリートに面するお宅に話を伺いに行ってみました。

知らない土地でいきなり話しかけるのは何度やってみても緊張します。

とあるお宅です。なかなか立派なお宅です。
場所を載せないことを条件に撮影の許可を頂いたので位置は割愛します。
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引き違い窓が全て木の枠の状態のまま残っています。家屋が古くても、窓の枠は金属製サッシになっていることも多いのですが、こちらは保存状態がいいですね。
手前の窓に細工が施していあるのが分かりますか?
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正面から。
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こちらの窓には鶴の模様が施されています。ここまで見ると、どうしても中が見たくなってしまうのですが無理でした…。お話を伺ったところ、中は大きめの部屋が多いとのこと。やはり料亭として用いられていたようです。こちらのお宅の方は、前項で載せた料亭「しめもと」の所有者でもありました。しめもとは30年ほど前に廃業したとのこと。
IMG_2224.jpg

地図上では宮城楼があったとされる場所には駐車場となっています。
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駐車場内には石柱が…。気なりますね…。とっても気になります。敷地の少し中にある点も、内門のようなものを連想させます。
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ここで矛盾が生じているのが分かりますでしょうか?
前項で触れたように遊郭区画のレイアウトはこのように記載されていました。
分かりやすく、関連のあるところだけトレースしなおしました。
小野新町地図トレース.jpg

現在、駐車場になっている場所は、かつての宮城楼の位置です。ただし駐車場の管理者名は羽田さんでした。図書館で発見した資料によれば、羽田という苗字をもつ羽田要太郎氏は、宮城楼ではなく小西楼主のはずです。

話を伺った内容や、お住まいの方の名字、家屋の配置状態等を勘案したところ、実際にはこうなっていたのでは?というのが下記地図。
小野新町地図トレース真.jpg

これであれば矛盾は生じません。もともとこの資料は復元図として掲載されていました。また、期間も明治末~大正初期とかなりアバウトです。おそらく聞き取り調査などから復元されたものなので、正確性という点では必ずしも完璧なものではないのかもしれません。

その他、ローラー聞き込みによって、興味深い話を伺うことができました。

  • この町の名称(殿町)は遊郭があったことに由来している(あくまで住民の方の見方です。遊郭部は遊郭のあったことに起因はしていないと思っています。)
  • 署長官舎とされている家屋は実はもう一棟あった。現在となってはどちらが署長官舎だったのか分からない。
  • 目抜き通りには置屋や隠居部屋があった。
  • 通りはもっと狭かった(現在は車が1台通れるくらいの幅員)
  • 料亭しめもとは30年前に廃業した。

話を伺う過程で、町に郷土史研究グループがいるので話を聞いてみてはどうか、と勧められました。

というわけで、次項は郷土史研究グループの方は探しに行きますよ。いきなり行って会えるのか不安であります…。

つづく

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