山形県松嶺町:新町遊廓2「遊郭跡を特定」


今回は山形県は松嶺町にあったという遊郭を訪れてみようと思います。

しかしながら、現在、「松嶺町」という行政町はありません。地図でいくら「松嶺町」を探しても見つかりません。

松嶺町は1955年(昭和30年)、市町村合併により消滅しました。
もう一度、前項で全国遊廓案内に記載された「松嶺町」を探してみましょう。

鉄道は陸羽西線の砂越駅で下車して東方へ約27丁位のところにある

これがヒントになりそうです。

砂越駅はここ
そして、この砂越駅から東方へ地図をスライドしていくと、気になる土地が見えてきます。ここになります。(実際には、27丁(2943m)以上離れていますが。)

Screenshot_2012-09-30-18-27-10.jpg

地図を見て一目瞭然。田園の中に、唐突に細かく分かれた町丁が現れます。酒造もあります!

しかしこういう町を地図で発見するとワクワクします。
○○町1丁目、2丁目、3丁目、4丁目、5丁目と連番だったりするのは興ざめですよね。

しかしなぜこんなに細々と町名が分かれているのでしょうか?
今更ですが調べてみました。

松山町はかつての出羽松山藩のあった土地なんですね。
石高2万5千石。かなりの小藩ですね。藤沢周平の「海坂藩」ではありませんが、小さな城下町ってロマンがありますよね。

さて、遊郭跡を特定しましょう。

松嶺町新町遊廓

と書かれていますから「新町」を探してみると…ありました!隣接して「肴町」というちょっと色気のありそうな町も。
肴町に「旅館山本屋」…。
00.png

城下町で、旧町名もそのまま。そして旅館…。にもかかわらず松嶺町の遊郭についての情報は、まだネットに上がっていないようです。俄然やる気が沸いてきました。

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