宮城県鳴子:鳴子温泉遊郭8「聴き込みからの推論」


前項でお邪魔した89歳のご主人から聴き込みした内容をまとめます。

聴き込み結果をまとめる前にご主人の経歴をご紹介しておきます。

  • 現在89歳。ということは1958年の売防法施行時には35歳。既に一人前の大人なのでこれは期待できそうです。
  • 当時の職業は酒屋。鳴子温泉街の各宅へ御用聞きをしていた。街や人の事情に明るいというわけです。
  • 若いときはスキーをしていた。長野白馬での大会に出場したことも。

さて。聴き込み結果。

—-湯元にカフェーサロンはありましたか?
あった。

—-妓楼・赤線でしたか?
いや。普通のスナックみたいな飲み屋

—-妓楼、女郎屋はありましたか?
妓楼ではなく女郎がいる置屋があった。そこから銘銘の場所へ出かけていった。

—-置屋は何軒くらいありましたか?
3,4軒だった。

—-そこに酒屋の配送に行ったこともありましたか?
あった。ドキドキしたw

—-場所はどの辺りですか?
この通りに置屋が何軒かあった。(場所は後述)

—-置屋を経営している人はまだ居るんですか?
いや。もういない。田中といったが、息子がスキーの大会に出場した。今は仙台に住んでいる。


いやはや。驚きの結果となりました。聴き込みでここまで一気に靄が晴れる経験も多くありません。
焦らず順に見ていきましょう。

前項から持ち越しとなっていた「カフェーサロン」に決着が付きました。純粋な飲み屋だったそうです。

次に、ここに娼妓・女郎が居たことは間違いありませんでした。
芸者との混同を防ぐ聞き方を用いたため、まず間違いありません。

さらに置屋があり、そこから出張っていたという事実。
ここが一番の核心であり、最大のヒントでした。

遊郭建築らしきものも全く残っておらず、さらにそれまでの聴き込みにおいて、妓楼のあった位置を掴もうとすると、途端に霧散してしまうような状態だった理由がここにありました。聴き込みで場所の質問となると、一気に曖昧な返事になっていました。
それは単純に、人の記憶の曖昧さと片付けていたのですが、そうではありませんでした。
遊郭部自身、「店を構えている」という勝手な思い込みがありました。

実際には店を構えず、送り込み制を採っていたことは、話を聴くまで全く思いつかなかったことです。
とはいえ答えが出てしまうと、コロンブスの卵的に単純な話で、ここは温泉旅館街。当然、娼妓が営業すべき部屋には全く困らないわけです。
わざわざ店を構えるよりも、旅館に出かけて行き、そこで営業するほうが全く合理的です。

前項で取り扱った、『よるの女性街・全国版』を再度、見てみましょう。

丸顔でずんぐり型の女が多く芸者と称するもの13名。

つまり、芸者と娼妓を兼業する者が居たということです。いわゆる二枚鑑札というやつです。
建前上、芸者であれば、座敷なり部屋に出張するのが当たり前。
当然、そのまま遊ぶとなれば、旅館の風紀は乱れますが、そこは客商売ですし、歓楽的要素の強い温泉街ともなれば「暗黙の了解」というものも存在したでしょう。

置屋があったとされる場所についてはこちら
現在、佐藤医院、若林歯科医院が並ぶ通りであることも、しっかり確認したので齟齬は有りません。
111.png
この位置であれば、各旅館へ出かけるには都合の良いことも地図上で分かります。

現在はこのような状況です。それらしい雰囲気は残っていません。
DSC04649.JPG

古めの建物はいくつか。
DSC04648.JPG

家紋が残っています。
DSC04647.JPG

こういった家屋も。
DSC04948.JPG

最後の質問。当時、置屋を経営していた家系の現在ですが、上記の通り。
先に述べたように、ご主人は若かりし頃、スキーを嗜んでいたので、スキーにまつわる出来事として鮮明に記憶に残っていたのでしょう。
(ちなみに、上記通りには既に田中姓は存在しません)

また、こちらのご主人は若い頃、酒屋に勤めていました。
配送業務で各宅や旅館に出入りしていたことから、土地の情報について、極めて高い信憑性があります。

遊郭部にとって、こちらのご主人が話す内容にもっとも信憑性を感じた理由は、そのコミュニケーション能力です。
まず、89歳にもかかわらず、耳が敏く、話される筋道もはっきりしています。

高齢でもお元気な方は多いです。しかし、良くあるパターンは、言葉や表情がはっきりしていても、自分の思いついたことだけを羅列的にひたすら話される方が多いということです。
やはり昔の話は印象深く、かつ懐かしい気持ちが高ぶってしまうためだと思いますが、こちらの意図したものとかけ離れて、ひたすら自分の想いだけを一気に話す方がどうしても多いのです。

こちらのご主人の場合、こちらの話に耳を傾けて、まずこちらが何を聞きたいのかしっかり把握してくださいました。
その上で説明をし、適切なところで話を区切って、再度、耳を傾けるという、会話のキャッチボールが存在していました。

文字に起こすと恐ろしく単純な話ですが、初対面であり、かつご高齢の方とのコミュニケーションはかなり難しいというのが遊郭部なりの経験則。(特に男性に一方通行な会話の傾向が、顕著にあるように思えます)

話が長くなりましたが、遊郭部としては下記の説を採りたいと思います。

  • 鳴子温泉遊郭は、置屋からの送り込み制であり、芸者と娼妓(二枚鑑札)の営業形態がベースであった

矛盾する点として、上記、『夜の女性街・全国版』には下記の通り、店舗を構えていた旨、記載があります。

これに対する赤線が3軒12名でとあり

もちろん、一老人の証言を全てに当てはめるつもりはありませんが、ただし、現地の立地状況、聴き込みの結果、温泉街と温泉芸者、という特性上、「置屋からの送り込み制」「二枚鑑札」という2つの要素が基本となっていたように思います。
その上で、例外なりバリエーションとして、諸々の営業形態が存在したのではないでしょうか。

以上で、鳴子温泉遊郭シリーズを終わります。

「宮城県鳴子:鳴子温泉遊郭8「聴き込みからの推論」」への6件のフィードバック

  1. はじめまして、いつも楽しみに拝見しています。
    今回の鳴子温泉の赤線跡、約10年前に私も探して
    みました。そのときの情報では、赤線は別のところに
    あったそうです。その当時でも痕跡はまったく
    ありませんでした。場所を聞いたのは終戦後で
    高校生だった方。その方によると、RAAでもあった
    のか、仙台からたくさんの米兵がやってきて、国鉄
    の線路の上をジープで来たと言っていました。その後
    OFF  LIMITSとなり赤線にというパターンみたいです。

    1. 初めましてこんにちは。ご来訪ありがとうございます。
      貴重な情報ありがとうございます。
      赤線もあったのですか。「よるの女性街ガイド」に掲載の「赤線」に相当するのでしょうか。
      是非場所を教えていただけないでしょうか?
      コメント欄での記載に支障があるようでしたら、是非メールで頂けますと幸いです。
      宜しくお願い致します。

  2. 夏頃から時々寄らせて頂き、楽しく拝見させて頂いております。

    一応♀なのですが、以前から遊郭などに興味がありました。

    過去にボディーガードと吉原と金津園を探索したことはあるのですが

    怪しい雰囲気満載で、妙に居心地が悪くカフェー建築など見つける余裕もなく

    退散してしまいました…。

    新年早々、仙台出張がありまして半日時間を無理やり作り

    鳴子温泉に足を延ばし探索したいと思います。

    1. こんにちは。ごらん頂きありがとうございます。これからもどうぞお付き合いください。
      仙台出張とはうらやましいです。
      (鳴子温泉は遊郭系の雰囲気は皆無です。一応ご連絡まで。)
      でも湯治場の雰囲気をよく残しているので、鄙びた雰囲気をお求めでしたらとてもオススメです。
      「姥の湯」さんがまさに農閑期の湯治場、といった風情ですよ。

  3. こんばんは☆仙台出張も無事に終わりました。

    1月2日の鳴子は雪が積り、降っていてとても寒く温泉街の半分くらいしか

    探索出来ませんでした。

    雪で視界や景色が覆われ、何処を歩いているのかイマイチ分からないことも

    あったのですが、何処かで見たことある景色だなぁ?と思いつつ

    歩いて行くと、こちらでアップされている鳴子観光温泉から滝の湯のある通り

    玉子屋、DX劇場、佐藤医院の通りなどプラプラ歩いていました。

    鄙びた湯治宿の姥の湯さんと駅前の足湯を楽しみました♪

    硫黄の温泉が冷えた体を温めてくれました。

    深瀬の栗だんごも美味しかったです。

    天候の関係で5時間くらいしか滞在できなかったので、また出張の機会が

    ありましたら泊りで鳴子を堪能したいと思いました。

    色々参考にさせて頂きましたので、ささやかなお礼と言うのも何ですが

    ちなみに仙台の美味しい牛タン屋さんは司、美味しいパン屋さんはパンセです。

    機会がございましたらお立ち寄り下さいませ^^

    ありがとうございました。

    1. 出張お疲れ様でした。
      旅行中はパンを齧ることが多いので、パン屋さん覚えておきます!!!!

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