【廓メシ Vol.4】食堂:「美津和」で朝定を召す


第4回目の郭メシシリーズ。引き続き、吉原周辺の飲食店をレポしていきます。
今回ご紹介するのは「美津和食堂」です。

この美津和食堂、決して入り組んだ先ではないものの、かなり分かりづらいところにあります。つまりは遊廓のど真ん中にあり、なぜこんなところに食堂が?という場所に。

ともあれ入りましょう。

営業時間は8:00~14:00

朝一登楼ユーザーや、廓から出勤するユーザーにはありがたい朝食対応のお店です。

さて、入りましょう。
建物はRC的な何か。
真新しいのですが、暖簾は白抜きで渋め。

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ガラガラガラ…。

とりま朝定を注文

おすすめを聞いて朝定(朝定食の略)を注文しました。
(ご飯少なめでお願いしました)
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おかずは全て手作り。種類多めで量少なめ。品があります。
おかずは左上から…

  1. 切り干し大根
  2. 卵焼き
  3. 筑前煮
  4. 大根おろし
  5. 赤カブ漬
  6. 納豆(葱、海苔、和辛子)
  7. 味噌汁(大根、大根葉、油揚)

味噌汁付き8品目で650円とはコスパたけぇ。
おかずはその日で変わりますが、玉子は、目玉焼き、卵焼き、生卵から選ぶことができます。

では頂きます。

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もぐもぐ…。

朝定うめぇ…。

店内の様子はコチラ

外観もそうですが、中も新しいです。これなら女性でも入りやすいですね!女性廓ユーザーでも安心♪
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むむっ!?気になるものが!

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猫の絵じゃないよ…。

吉原資料

壁には吉原の資料が飾られています。
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撮影の許可を頂いたので、いくつか抜き出して詳しく見ていきましょう。
(以下、諸々の資料を並べますが、出典がないことを前提にご覧ください)

■吉原六ヶ町の由来
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吉原を構成する町名(現在は千束で統一。通りにその名が残るのみ)の由来についての一説が記載されています。

江戸一
駿河出身の業者より
江戸二
江戸出身の業者より
揚屋町
元吉原時代の揚屋業者より
角町
京橋角町の業者より
京一
京都出身の業者より
京二
上方出身の業者より

注意書きとして「諸説あり」とされていますが、名古屋中村遊廓に存在した稲本楼が吉原に存在するなど、そのあたりのヒントになるかもしれません。

吉原への道

1830年(天保元年)の頃の浅草から吉原へのアクセスマップです。
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吉原病院

往時の吉原病院の写真があります。かなり立派でモダンな建物です。
現在は東京都立台東病院となっています。
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吉原の職種の変動

吉原遊郭における各職種の変遷をまとめたもののようです。かなり興味深い資料です。
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漢数字で読みづらいので、興味深い点だけを抽出して整形しなおしました。
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では、詳細を分解していきましょう

まずは貸座敷。
1958年(昭和33年)の売防法によって廃業したのが明らかです。昭和33年以降、数は0に。

廃業とはいえ、泡のように消えてなくなるわけではありません。ではどうなったのでしょうか?もう少し追ってみます。
ソープランド・トルコ、ホテル・旅館、アパート、駐車場、マンションの数を合算してみます。
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丁度、昭和33年を境に合計300前後の数が、すっぽりと移行しています。
転業したプロセスがデータ上で明らかになります。

続いて「幇間」の変遷。
幇間はいわゆる「太鼓持ち」ですね。遊女の居ない間、あるいは旦那の付き添いとして場を盛り上げる役目を持つ人です。データ上では昭和59年の時点で0人に。Wikipediaでも絶滅が危惧されるとして記載されています。

ちなみに、先に述べたように遊女が居ない、つまりは「間」を持たせる役目です。
関東では一人の遊女・娼妓が一晩に複数人を相手する、いわゆる「廻し」を取る営業形態であったため、客には退屈な待ち時間がありました。この退屈な間を幇間が取り繕っていたと言います。
しかし、関西側の名古屋・中村遊郭では一晩付き合う「廻しなし」のため、そもそも幇間が存在しなかったと、神埼宣武『遊廓 成駒屋』(1989年、講談社)に登場する妓楼主の証言として書かれています。

幇間の芸の一部はYOUTUBEで閲覧することができます。

さて、以上、壁に貼られた遊廓資料を抜粋してご紹介しました。

この資料、ご覧の通り手作り感満載です。
これは全くもって笑えません。手作りと言うことは、吉原にそれなりの想いがあるに違いありません。資料としての精度云々ではなく、ここに掲載する何らの必然性なり経緯があるはずです。

お会計を済ませるタイミングで、シャキシャキと立ち回る明るい女将さんに、コチラのお店と吉原の関連性について伺ってみました。

—-この資料があるってことは、こちらのお店も何か関係があるんですか?
「うち、元赤線経営だからっ☆」

ちょwwwwwww「☆」じゃねーよwwwwwwwww

これは緊急スクランブルwwwwwww

手持ちの吉原地図(1958年、売防法施行時)を確認すると…

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ありました~!

本当に赤線経営者でした…!こりゃ遊廓のど真ん中にあるはずです。
いやぁ、すっかり特殊浴場だけになってしまっていると思い込んでいた吉原も、まだまだ当時の関係者がおられるんですね…。驚きました…。

遊郭部が最近、吉原に越してきた旨をお伝えすると
「気をつけてね、あの辺り山口組の事務所あるから♪」

ちょwwwwwww「♪」じゃねーよwwwwwwwww


折を見て、お茶目な女将さんに取材をお願いしたいと思います。
追ってご報告したいと思います!

吉原お越しの折は美津和食堂をご贔屓に…。

「【廓メシ Vol.4】食堂:「美津和」で朝定を召す」への2件のフィードバック

  1. まさか太鼓持ちのYouTubeが上がっているなんて、予想外でびっくりしましたが、感動です。
    YouTubeの方も話していらっしゃいましたが、5人程しかいないんですね。そのうちの1人が福井県に太鼓持ちがいると聞いてます。
    以前の職場の上司が接待で楽しんできた時に話してくれました。

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