青森県鰺ヶ沢:新地町遊郭14「続 ふるさと あじがさわより引用」


前項に引き続き、日本海拠点館内の図書館からお送りします。

今回の資料はこちら。
『続 ふるさと あじがさわ』(1973年、鰺ヶ沢町教育委員会郷土読本編集委員会)です。
IMG_5400.jpgIMG_5401.jpg

同著P14から引用します。

新地町、後町、青楼と呼ばれたりしていましたが、新地という町名は全国いたるところにあり歓楽街の意味です。

続いて引用します。(頁番号不明)

2、松浦武四郎「東奥沿海日記」から

松浦武四郎が鰺ヶ沢を通ったのは、今から130年ぐらい前のことでした。(中略)

鰺ヶ沢
枡形をはいると舟町である。小商人だけの町だが鍛冶屋、船大工もある。荒町は左右に裏町があって、左を裏町という。右は新地町で青楼が14,5軒並んでいる

では、砕いていきましょう。

まず「青楼」とは耳慣れない言葉ですが、妓楼と同義です。
用例も載っているので興味のある方はこちらをご覧ください。

次に松浦武四郎なる人物。
Wikipediaによれば、三重県松坂生まれの1818年(文化15年)~1888年(明治21)に生きた探検家だそうです。
Takeshiro_Matsuura.jpg

彼が記した著作『東奥沿海日記』によれば、妓楼は14、5軒並んでいたことになります。
前項で新地町の範囲を示しましたが、当時(1840年前後)はかなり妓楼が多かったことになります。勿論、鰺ヶ沢より妓楼の多かった地域は数限りなくありますが、現在の鰺ヶ沢町の規模からは考えられない数で、往時は廻船港としての賑わいがしのばれます。

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