青森県鰺ヶ沢:新地町遊郭20「明治33年の廃娼問題」


引き続き鰺ヶ沢町史から遊郭関連の情報を抜き出していきます。

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1 廃娼問題
明治32年になって外国人の内地雑居が実施されることになり、我が国の恥になるような風俗習慣を改めようという全国的な運動が起きてきた。

廃娼問題もその一つで芸妓娼妓は自由に廃業ができるようになった。本県(筆者注、青森県のこと)では青森市柳原新盛楼の娼妓小竹が、明治33年9月10日廃業届けを出した。これが本県における自由廃業の皮切りで、警察では直ちにこれを許可している。鰺ヶ沢町では丸海老楼の娼妓、若柳こと栗原ミヤが自由廃業の届けを出したが、警察署(所長松尾彦馬)は取り調べの必要があるというので、すぐに承認しなかったところ、東奥日報は9月20日紙上で、この措置を批難した。廃業に関する記事が報道されるや、直ちにこれが八戸・弘前にも波及して、更に各地でも娼妓の自由廃業が続くような機運が出てきたので、各地の楼主たちは大いにあわてた。丸海老の若柳事件はその後[、]代言人やら、なじみ客の某などが介入してきてますます紛糾したが、その月の21日の夜になって聞き届けられている(後日談、若柳はなじみ客の某と結婚した)。

新聞に報道されるやいなや廃業を受理したようです。警察と妓楼は当然のように繋がりがあったでしょうから、廃業を押しとどめようと画策していたのかもしれません。

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