青森県鰺ヶ沢:新地町遊郭23「嘉永の遊女取り締まり」


引き続き鰺ヶ沢町史 第2巻(1984年)からの遊郭関連項目のサルベージです。
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(4)入湊船の遊女取り締まり
嘉永元年(1860)?5月19日、勤番から船問屋大塚甚八あての書類があり、入津船に女が乗っていて、それを附船で取り持っているのはけしからんと記している。

一 当湊口入津船々江女躰之者相見得(あいみえ)
然者(しかれば)附船にて取持候様子ニも相聞得(あいきこえ)
兼(かね)て御締向之儀厳重被仰付(おおせつけられ)
有之(これある)処 兎角等閑(とかくとうかん)ニ相心得候哉
右躰之者往来いたし候義 附船宿之差略にも可然之哉(これをしかるべくや)相聞得候間
逸々(いちいち)詮儀可致処(せんぎいたすべくところ)ニ有之候得共(これあるそうらえども)
右之趣与得(みぎのおもむきとくと)申聞
以後御締崩れに相成不申(もうさず)候様
能々(よくよく)申諭御締向厳敷(きびしく)可被申達(もうしたっせらるべく)候程
此末右躰之者有之(これあり)候(そうらえ)ては取持之者井(ならび)当人迄取糺可申(ただしもうすべく)候
右之趣御申付被成(なされ)候様此段申遣候已(い)上

附船というのは小問屋のことで、水主たちを相手にホマチ物などを売りさばくのを商売にしていた。例えば当町浜町の晴山家が、この附船であった。

ホマチとは船頭が船主に内密で荷物を運送し収入することらしく、(ご禁制という意味ではなく)契約外という意味での密輸品でしょうか。

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