青森県鰺ヶ沢:新地町遊郭24「昭和7年、遊郭の大火事」


引き続き鰺ヶ沢町史 第2巻(1984年)からの引用。
今度は時代がぐっと下って昭和期のものです。
昭和期に起きた大火について記載があります。
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(3)昭和に入って
・昭和7年1月17日の大火は、午後10時10分柳町(新地町)から起こり、折からの12メートルの西風にあおられて、上・下共に燃え広がっていき、翌18日朝の3時過ぎにようやく鎮火。この年は雪が薄く、屋根に雪がなかったから、飛び火の災いが一層広がった。風が海手から吹いたのが幸いして浜町は焼けなかったものの、戸数246戸、非住家16棟、貸座敷、永昌寺、法王寺等を消失。損害46万647円。原因は炬燵(こたつ)火の不始末。ちょうどこの日、北村町長は菊谷亀吉町議員と共に築港改修工事運動のために上京しており、農林省の承認を得て旅館に帰って一休みしようとしたところへ電報が舞い込んだので、急きょ帰鰺して類焼者の救済に当たった。住宅資金起債額は17万9000円、1人2000円を口高として190人に貸し付けている。借りないで済ませた者は3人だけであった。

この内訳は次のとおりである。

179,000円 起債総額
175,915円38 貸付金
3,484円62 残金

(後略)

さて、かなり大事な情報があがってきました。
鰺ヶ沢新地町遊郭を火元として昭和7年に大火があったのです。これによって貸座敷を含む地域が全焼とあります。

こちらの項でも触れた昭和7年の大火のことです。
つまり現在、新地町に残っている家屋は昭和7年以前のものは有り得ないという結論になります。
前項で触れたこちらの家屋。なかなか重厚な造りですが、こちらも昭和7年以降の建築ということになります。
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300年の歴史ものがあるとも言われる鰺ヶ沢の遊郭ですが、昭和7年の大火で歴史有る妓楼も全て灰に帰したようです。その後、遊郭として復業したのはわずか6,7軒だったそうです。

そして全国遊廓案内の鰺ヶ沢の項にはこうあります。

鰺ヶ沢は津軽藩発祥の地で、旧藩時代には津軽唯一の商港だった。したがって遊廓も300年の古い歴史を持っている。現に妓楼として300年を経過して、今なお営業を続けている中村楼主は、12代の直系である。

全国遊郭案内が発行されたのが昭和5年(1930年)。取材と執筆がそれ以前だとしても、全国遊廓案内から約2年後に壊滅に近い大火が待ち受けていたわけです。

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