山形県東置賜郡:高畠町遊郭12「新潟で生まれた娼妓、イク」


さて、高畠遊郭を追いかけ始めたのが2012年4月。
現在は2013年3月。約1年が経ちました。

前項で娼妓リストから娼妓たちの名前、出身地、続柄、年齢を紐解きました。
その中でひときわ惹きつけられた娼妓がいました。

娼婦渡世 イク|20才|新潟県新潟新町8番町253番地|商四女

新潟市に住んでいたことがあり、少なからず新潟には土地勘があります。この娼妓が登場する資料は1876年(明治9年)作成ですから現在から約140年前。生きていた時代は全く重なりませんが、自分が歩いた道を彼女も歩いていたのかと思うと、何やら名状し難い想いがこみ上げてきました。

そんなわけで、前項でも述べたとおり、この娼妓の見た景色を、自分の目にも写してみたくて仕方がありませんでした。

いつの間にか、私にとっては彼女は「とある娼妓」ではなく「女 イク」という存在になっていました。

というわけで、今回はこの娼妓、イクの住んでいた場所を特定してみたいと思います。

新町8番町253番地はどこか?

記載はかなり具体的な住所でした。「新潟新町8番町253番地」です。これでほぼ特定したようなものかと思いましたが、まず、現在、新潟には新町という地名はありません。

手詰まりとなったので、新潟県立図書館にリファレンスを依頼しました。

結果が戻ってきました。

『新潟市史』「第4編 第3条 行政」によると、明治5年に町名が改正され、そのうち「8番町」のつく町名は以下。

  • 西堀前通8番町
  • 古町通8番町
  • 東堀通8番町
  • 東堀前通8番町
  • 本町通8番町
  • 上大川前通8番町
  • 娼妓リストの作られた明治9年当時も「新町」は存在しませんでした。

    次に手がかりとなるのは「253番地」です。番地というと「山下町○丁目253番地」や「川上町○丁目253番地」というように、町名が代われば、いくらでも重複するのかと思い込んでいたのですが、当時は異なりました。

    住居表示法が1962年(昭和37年)に施行される以前は、「町名・字名と地番」で表記されるのが通例でした。この地番というものは、一意の数字を持っており、町名が変わっても重複することはありません。つまり連番です。

    地番253を探せ

    では、次に当時の「地番253」を探してみます。越後佐渡デジタルライブラリーに丁度良い資料がありました。
    『新潟区全図』です。この図絵は1884年(明治17年)~1886年(19年)頃の新潟区の様子を描いたものらしい旨、記載があります。

    この資料で地番253を探してみましょう。同サイトから引用します。

    ありました。毛筆による字が滲んで読みづらいので、改めて記載してみました。1文字1文字は読みづらいですが、前後の流れで読むと判別が可能ですね。
    [pe2-image src=”http://lh3.ggpht.com/-EFBw_qYX48s/UT8UPqWF11I/AAAAAAAAVFs/B5q2LfrHFTw/s144-c/takahata_001.png” href=”https://picasaweb.google.com/111398820041318431637/qSWgGI#5854420299902474066″ caption=”” type=”image” alt=”takahata_001.png” pe2_single_image_size=”w420″ pe2_single_video_size=”w” ]

    現在地に当てはめるとコチラです。
    [pe2-image src=”http://lh6.ggpht.com/-ii3FT_jnDyc/UT8WHDMi22I/AAAAAAAAVGI/aNvsOA4S2Zc/s144-c/takahata_002.png” href=”https://picasaweb.google.com/111398820041318431637/qSWgGI#5854422350977751906″ caption=”” type=”image” alt=”takahata_002.png” pe2_single_image_size=”w420″ pe2_single_video_size=”w” ]

    現在の住所は、「本町通5番町253」です。奇しくも地番がそのまま使われていました。この場所は「5番町」であり「新町8番町」との矛盾がありますが、地番が一意の数字である以上、地番の方がより重要な手がかりになるはずですので、地番を頼りに調査を進めてみます。

    本町通5番町253に行ってみた

    地番による住所を特定したので、この住所に行ってみました。
    ここです。正面ビルの右側が「地番253」に当たります。
    [pe2-image src=”http://lh4.ggpht.com/-qLWUhb-5cFo/UT8Xnn3OijI/AAAAAAAAVGg/2w5Fxx5MrVM/s144-c/IMG_8411.jpg” href=”https://picasaweb.google.com/111398820041318431637/qSWgGI#5854424010087893554″ caption=”” type=”image” alt=”IMG_8411.jpg” pe2_single_image_size=”w315″ pe2_single_video_size=”w” ]

    通りはこんな感じ。
    [pe2-image src=”http://lh3.ggpht.com/-S2eOBcuIzBo/UT8XmKkv3HI/AAAAAAAAVGY/joAsBY_TThE/s144-c/IMG_8410.jpg” href=”https://picasaweb.google.com/111398820041318431637/qSWgGI#5854423985045888114″ caption=”” type=”image” alt=”IMG_8410.jpg” pe2_single_image_size=”w420″ pe2_single_video_size=”w” ]

    古びたビルになっており、当時を偲ぶよすがは、何一つありませんでした…。

    イクの名字が知りたい

    さて、最後にこの資料を見てみましょう。
    同様に越後佐渡デジタルライブラリーに収蔵されている『新潟市商業家明細全図』です。制作されたのは1986年(明治29年)。イクの名前が記載されたのは1876年(明治9年)ですから、20年ほど下っています。この資料が、存在する中でもっとも近い年代の住宅地図です。
    (もしイクが当時も生きていれば40歳です。娼妓としては現役を引退せざるを得ない年齢です。年季が明けて実家に帰ったのか、やり手婆になったのか、或いは…)

    この絵図で先の地番253を確認してみます。赤で囲んだ区画がそれに当たります。
    [pe2-image src=”http://lh6.ggpht.com/-w1WvSNRH8hk/UT8cIIQyBPI/AAAAAAAAVHE/Bg6WMOrn0VA/s144-c/takahata_003.png” href=”https://picasaweb.google.com/111398820041318431637/qSWgGI#5854428966587335922″ caption=”” type=”image” alt=”takahata_003.png” pe2_single_image_size=”w420″ pe2_single_video_size=”w” ]

    やはりスキャンされた画像では毛筆が潰れていて読めないので、記述された文字列について、原本を保存している新潟県立図書館へリファレンスを改めて依頼しました。

    地図を180度回転し、文字の天地を直します。
    [pe2-image src=”http://lh6.ggpht.com/-z88Jagrf9JQ/UT8cvAieP8I/AAAAAAAAVHM/9Y4hYk_Jiho/s144-c/takahata_004.png” href=”https://picasaweb.google.com/111398820041318431637/qSWgGI#5854429634528952258″ caption=”” type=”image” alt=”takahata_004.png” pe2_single_image_size=”w420″ pe2_single_video_size=”w” ]

    左から…

  • 薬店 遠藤
  • 生糸真ワタ洋糸卸 竹野内
  • 薬店 中村
  • 呉服フトモノ 濱田
  • 呉服太物 本田
  • ランプ卸 池田
  • 古着 内山
  • 呉服太物 大塚
  • 質店両換 高橋
  • 下駄 折戸
  • 太物 吉田
  • 古着 南雲
  • 古着 松橋
  • 古着
  • となります。
    地番253は左から5軒目ですから、

    呉服太物 本田

    がそれに当たります。

    もう一度、イクの記載を見てみましょう

    娼婦渡世 イク|20才|新潟県新潟新町8番町253番地|商四女

    とあります。この本町通5番町253は商店が並ぶ通りであったようですから、「商四女」とも矛盾はありません。核心に近づいてきたのかもしれません…。

    (Twitterで「新町」とは「古町」との対比で「新しい町」という意味での通称ではないかとの指摘を貰いました)

    本田イクという女が生きていた

    リストに記載された「新町8番町」と「本町通5番町」は矛盾が生じていますが、娼妓リストの作られた明治9年から20年後の29年当時もイクの実家が存在しており、さらに娼妓リストに記載された地番が正しいという仮説が成り立つとすれば、イクの名字は「本田」ということになります。

    本田イクは呉服太物の家に4女として生れた。女衒に連れられ、山形県高畠の遊郭へ渡ってきた。イクは娼妓となった。明治に本田イクという一人の女が生きていた。

    本田イクがどのような人生を送ったのか、いくら知りたくても、これ以上知ることはできないのでしょう。ただ、「とある娼妓」ではなく「本田イク」が生きていたことは確かに知ることができました。私はもう満足です。

    地番253で空を見上げてみました。
    [pe2-image src=”http://lh3.ggpht.com/-kvz6462InvI/UT8h7qdB77I/AAAAAAAAVHc/x4iHI6N_NtA/s144-c/SDIM0973.jpg” href=”https://picasaweb.google.com/111398820041318431637/qSWgGI#5854435349496983474″ caption=”” type=”image” alt=”SDIM0973.jpg” pe2_single_image_size=”w420″ pe2_single_video_size=”w” ]

    いつも鉛色に覆われる新潟の冬の空。そこに少しだけ青空が見えました。これでやっと筆を置ける気がします。

    最後までお読み頂きありがとうございました。

    「山形県東置賜郡:高畠町遊郭12「新潟で生まれた娼妓、イク」」への4件のフィードバック

    1. 普段目にしている町名の由来など、興味深く拝読させて頂きました。

      コチラは・・・・・先日仰っていた場所ですよね。
      白龍権現様近くの。
      この界隈は夏場になると、本町通り一面に提灯をならべるローカルなお祭りを催すのですよ。

      そしてイク女史は私とご近所さんですな。並々ならぬ縁を感じるのです。

    2. 商家でも四女となると売られることもあったんですね。

      親類縁者が今も新潟に残っていそうですけど、イクさんの行く末を知る人はおそらくいなくて、全国に、もしかしたら自分の血縁にも、そんなふうに生きた女性がいるのかもしれないですよね。

      1. 血の繋がった人は必ずいるでしょうね。
        人生とは他人とのつづれ織りですね。。。

    3. 花町さんちの方からきました。ねこまんまというおばさんです。
      昨日イクさんの生まれた場所かもしれないところを通りました。
      イクさんに会うことがあれば、「がんばったね。」と抱きしめてあげたい。(出てこられても困るんですけど・・・)

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