紀行文:愛知県・常滑常楽園遊郭跡を歩く


その私生児は両親の愛情を知らずに育ち、「家族」に焦がれながらも、結果的には、水商売の男と連れ沿ったという。
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常滑遊郭跡を訪ねた私は、60格好の女性に、これから登場する私生児の話を聞くことができた。女性は近在の網元から、元庄屋の家に嫁いできたという。元庄屋は元女郎屋の向かいにある。

その私生児と女性は全くの隣人であり、かつ同い年であり、また幼馴染というわけだった。

私生児の母は元娼妓だった。売防法によって娼妓を辞めた後も行く宛が無いのを、豪傑な女妓楼主が憐れみ、そのまま住み込みの下女として雇った。

やがて、その元娼妓は出入りする男と懇ろになり、子を私生児として産み落とす。

出産した頃には、男はとうに行方をくらましており、堕したとしても何ら不思議は無かったが、奇跡的にその子はこの世に生を受けた。(堕ろさなかった理由を私はついぞ聞けなかった)

やがて母は別な男と出て行ってしまった。

幼くして、子は女郎屋に残された。

子は幼くして両親を失い、両親の愛情を知らず高1まで女郎屋の中で育った。

両親を失われはしたが、女郎屋は裕福であり、女楼主の庇護の元、下にも置かぬ扱いで何不自由なく成長した。

物質的にも、(血の繋がりは無いとは言え)女楼主から受けた愛情的にも、子は恵まれて育った。だが、言の端に寂しさが滲んでいたという。

子が高1の時、元娼妓の母が唐突に迎えに来た。名古屋の高校に就学していた関係上、そのまま名古屋在の母に着いてこの地を去った。

その後、成長した元娼妓の子は、水商売の男と結婚した。

元娼妓の子は家族の愛を知らずに育った。母の愛は想像上のものに過ぎなかった。父のそれも想像上のものに過ぎなかった。そのことは誰より元娼妓の子が一番良く知っていたであろう。であるが故、子は誰よりも家族の愛情を求め、傍目にもそれが透けてみえていた。元庄屋に嫁いだ女性の言葉を借りるならば、凡庸な堅気への憧憬と言ってもいい。にも関わらず、築いた家庭は決して凡庸な堅気とは呼び難かった。

『家族の愛情を誰よりも求めていたはずなのに、ともすれば刹那的な生き方を選んだのですね。』

私がこう言うと、元庄屋に嫁いだ女性と私との間に瞬間的な沈黙が横たわった。

女性は言葉を次いだが、それは「受け答え」ではなく、空いた間を埋めるためのものだった。

実際、子は誰よりも愛を求めており、決して刹那的な生き方をしたかったのではないのだろう。結局の話、愛を提示する方法が直截的、裏を返せば短絡的だった男に着いて行っただけなのかもしれない。

元庄屋に嫁いだ女性との間に、雑談が許されるほどに打ち解けた雰囲気は生まれはしたが、私は雑談だけで興味を維持するのは難しかった。

 

帰ろう。

 

最後に聞いたことだが、元娼妓の子は、今は名古屋に住んでおり、子があるという。

子の子は先に書いたことを知らないかもしれない。知らないかもしれないが、元庄屋へ嫁いだ60代の女性の記憶の中には、今もありありと元娼妓の産んだ私生児の物語が生き続けている。

しかし、その物語ですら、やがて塵芥と帰すだろう。

人の記憶から人が消えることほど、残酷で寂寥なことはない。

だが私にはそれでいいと思えた。

 

終わり。

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