紀行文:宮城県・仙台常盤町遊郭跡を歩く


「同時異地」

という言葉があるかは判らない。おそらく無い。そういった意味の熟語や慣用句があるのかもしれないが、ともかく知らない。

お互いが異なる場所で、同じ時刻に例えば月を見る。こういった例えを用いるのは陳腐すぎるくらい陳腐なのだけれど、ともかくも、異なる場所で同じ時間を過ごすことは、人にひどく感興を催させるという点では疑いの無いことのように思える。

それとは全く逆に「異時同地」というものがあっても何らおかしくない。時間は異なれど同じ場所に存在するということ。

 

ここに訪ねてくる前、手に取った一連の著作がある。竹内智恵子著『昭和遊女考』シリーズ。それは明治から大正、そして昭和を生き、その人生の多くの時間を遊郭の中で費やした元娼妓(著作の言い方を借りれば「昔遊女」)、8人からの聴き取りを纏めたものだった。

その遊郭とは仙台常盤町遊郭。今回はそこを訪ねた。

郭の南端。おそらく門があった辺りから区画を一通り眺めたのだが、結論から言えば、何も残ってはいなかった。額面通り名残りらしきものは本当に何もない。強いて残っていると言い得るのは、地面に穿たれた街路の矩形だけだった。

しかし、いま私の目が時間を超えることが出来たならば、昔遊女8人から聴き取られた、一部といえど濃密な物語が目の前に広がっているはずだ。

ふとした気病みで唐突に首を縊った遊女。
身篭ったため、帯をきつく締め、胎児を上から捻り出すように堕胎させられる遊女。
鳥小屋(病人が入れられる牢のような部屋のこと)に入れられ衰弱死した遊女。
悲観した挙句、猫いらずを飲んで、物置の奥の柳行李に自ら入り一生を終えた遊女。

怨恨の果て、犯人が判らぬまま腹を刺されて死んだ楼主。

悲惨な話ばかりではない。

2階でお秘所を天日干ししながら、うとうとする遊女。
遅い朝食の後、連れ立って汁粉屋へ繰り出す遊女。
禿を気にする遣り手ババアのかもじ(カツラ)をいたずらして、腹のよじれるほど笑いあう遊女。

いま私が立っている街路から数メートルも行かぬ奥に、その鳥小屋があったのかもしれない。
私の顔を横に向ければすぐ目の前には、仰向けで鬼追い(堕胎)する遊女が脂汗を掻き、何度も気を失っているのかもしれない。
眼下には楼主の腹から止めどなく溢れ出す血が流れ、私の足裏を濡らしているのかもしれない。
束の間の休息を、甘味と汁粉屋のおばやんの慰めで気が晴れた遊女は、私の身体の中を擦り抜けて仕事へ戻っていったのかもしれない。

 

帰ろう。

 

『昭和遊女考』の著者が聴き取りをスタートしたのが1970年後半。当時、昔遊女たちが仮に60歳だとしても現在100歳近い。
昔遊女8人の内、一人でも健在と考えるのはどうしても難しかった。

昔遊女8人は遊郭で20年、30年と勤めた。それだけ長い時間勤めたからには、いま私が立っている場所と全く違わない場所を歩いたに違いない。だとすれば、いま私がここにこうして立っている間、何度となく私の身体の中を擦り抜けていったはずだ。

 

8名に限らず、昔遊女たちがこの街に生きた証は、街の再生と共にほぼ全て失われてしまった。

生きた証が何も存在しない街でカメラを構える気にもならず、ついには一度もシャッターを切ることはなかったが、昔遊女8人が私の身体の中を擦り抜けて行ってくれたに違いないと思うと、写真に収めなかったことに後悔は無かった。確かに彼女たちはここに生きていたことを実感できたのである。

 

終わり。

「紀行文:宮城県・仙台常盤町遊郭跡を歩く」への8件のフィードバック

  1. 仙台市青葉区小田原(旅籠町)でしょうか?今は駐車場なのですが、その一角には立派な木が茂り、倒壊した石灯籠の残骸があります。以前は宿屋だったと聞きました。あさか樓だったかな…昔の面影とまではいかなくても、残滓を感じる事が出来ます。

    1. 前回訪問した時は全く見つけられませんでした~。ありがとうございます。
      アサカ楼を大正元年の古地図で確認したら、矩形の北東あたりですね。次回は必ずみてきます!!!

  2. 竹内さんの著書を見て、いつか訪ねてみたいと思っていましたが・・・

    今は面影もないくらい、何も残っていないのですね。残念です。

    1. 私も竹内さんの著者が印象深く、訪ねていきました。
      数年前にX橋も取り壊され、作品にも登場する嘉門町もまったく跡形がありませんね…。

  3. 昭和40年代だったと思います。何度かあさかや旅館にあそびにいったことがあります。お知り合いの家だったので。見事な木造の建物でした。廊下を走り回ったり、広いお庭で遊ばせていただきました。木造の3階建てだったと記憶しております。お手洗いが静かすぎて怖かった記憶があります。

    1. コメントありがとうございます。その頃は木造だったのですね。(今は木造なのかどうか存じ上げないのですが…)
      某妓楼のお稲荷さんはのこっているとの情報も頂いたのですが、未だに見つけられておりません。

  4. 旅館の前は,楼でした。大きな石灯籠、黒光りした木の広い廊下、ツツジの見事な庭、便所がいくつもならんでいてどん詰まりには大きな鏡がありました。いまはコーポラスというマンションになっています。実際に父に連れられ遊びにもいきました。断片的に父(故人)からいろいろな話を聞きました。ご遺族の方もご存命かと思われますので詳しいことはおつたえできませんが、木造建築、庭は本当に見事なものでした。後世に残して欲しかった半面、いろいろご事情もあったと推察しております。すみません。何か奥歯にものがはさまった言い方で。

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