紀行文:大阪府・飛田新地を歩く


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飛田新地を見てきた。

その歴史や仕組みは、多くのメディアが取り上げているから、ここでは割愛したい。私の心象も他の遊客とさほど変わらなかったはずである。

ともかくも新地を見たのだった。

新地に通じるアーケードは、新地の門前で臆面もなくプッツリと途切れることにやや驚きながら、今度は来た道を逆に新世界方向へと引き返した。

来た時は気づかなかったのだが、辻でパイプ椅子に座り、花を商う老婆が居た。

商いは路面商で、見ればカーネーションやユリなど2枝程度を一束にして売っているようである。

行き過ぎてしまったのだが、どうにも気になり引き返した。

老婆はパイプ椅子をたたみ、ちょうど帰り支度を始めたタイミングだった。

旅の途中で荷物も多く、買ったあとの始末を考えると少し迷ったが、買い求めることにした。値を尋ねると一束200円とのことで、なんとはなしにユリを選ぶことにした。花を見たいから盛りの花を買うのだ、との単純な思考で、花びらが開いた盛りのものを選ぶと、老婆がもう一束をおまけしてくれるという。

「開いた花はもう売り物にならん。捨てるしかない。」

売り物にならない花を持ち帰るよりは、あげてしまった方が手間が省けるのだろう、と納得して言葉に甘えることにした。

「一日にどのくらい売れるの?20本くらい?」

まぁそのくらいは売れる、と言う。一束200円だから、1日4000円が、この老婆の懐に入る全てということになる。

話を続けてみると、歳をとってからは店にも出られないようになったと言う。話の流れからすれば、居酒屋で仲居でもしていたのかもしれない。

買い求めた一束とおまけの一束の始末が、頭の片隅で重くなり始めていた。

 

帰ろう。

 

老婆と別れてアーケードを歩き始めた。

『開いた花は売り物にならならず、捨てるしかない』

今見てきた新地の女たちは、殊に鮮やかであったが、それは既に「開いた花」だからだろうか…。

求めた花の始末に煩わしさを感じることは止められず、開いていない蕾であれば、なおのことであったろう。

新地に咲く花たちは、男にとって始末にさえ困らない女たちなのだ、と思うと憐憫は止み難かった。

 

終わり。
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「紀行文:大阪府・飛田新地を歩く」への5件のフィードバック

  1. 花売りのお婆さんから静かな時を感じました。
    どんな人生を歩んできたのでしょうか?

    私の花が開ききった時、一度は歩いてみたいと思っている新地から素敵なお話をありがとうございます。

    1. ありがとうございます。
      どんな人生を送られたのでしょうね。いろんな人に人生を聞いてみたいです。
      私は人に話を聞くのが性に合っているというか、その人なりの人生を聞くと、とても充実感がわきます。

  2. 『開いた花は売り物にならならず、捨てるしかない』 この言葉を聞くために、あなたは花を買ったのだと私は思います。

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