鹿児島県鹿屋 将校は芸妓を抱き、兵卒は娼妓を抱く


さて、前項では鹿屋に存在した遊郭を特定しました。特定の過程で面白い地点を見つけました。

ちょっと気になる地点がある

住所では北田町10番地あたりのこちらです。
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いかがでしょうか?ピンコピンコとくるものはありますか?

私なりに気になるところに矢印を付けてみます。
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はい。旅館が妙に集まってるですよね。旅館が集まって、旅館街が形成されることは何も珍しいことではありませんが、その場合、繁華街、温泉、駅、官公庁の周囲など、人が集まる場所が前提となるはずです。

北田町10番地の地図を引いて眺めてみましょう。現状の地図を眺める限り、北田町の旅館街に人が流れてくる要因が全くありません。比較的、旧鹿屋市役所に近いですが、それでもわざわざ川を渡って、駅とは逆方向に人が流れるとは思えません。
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雰囲気の気になる旅館がある

ビジネスホテル鶴園…。ふむ。
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北田旅館…。ふむ。
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旅館富士代…。富士代さんの奥にもう一つホテルが隠れていました。観光ホテル城山。地図には掲載されていないので廃業して久しいのかもしれません。観光ホテルにしては、ちょっと雰囲気が違う気がしますが、看板がネオンっぽいせいでしょうか。
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やっぱり普通の旅館街じゃなかった

ここで1983年の地図を見てみましょう。(前項でも述べましたが、鹿児島県県立図書館、鹿屋市立図書館、国会図書館が所蔵する住宅地図のうち、最も古い地図になります)やっぱり一番気になるのは、通りから奥まった旅館富士代観光ホテル城山の辺りですよね。
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当然と言えば当然ですが、旅館富士代観光ホテル城山も健在です(地図の掲載は端折りましたが、先に上げたビジネスホテル鶴園も北田旅館も健在でした)。それにつけても気になる存在は「水泉閣」です。これは一体なんでしょうか?

水泉閣とは?

検索したらあっさり出てきました。
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水泉閣
鹿屋を代表する料亭。当時は多くの芸者衆もおり賑やかな鹿屋盛り場の象徴でした。現在ではジョイフルが建っています。昭和50年代前半撮影。

(かのやファン倶楽部より引用:http://www.kanoya.in/history/showa/%20水泉閣/)

写真を掲載していた「かのやファン倶楽部」は鹿屋市役所産業振興課に事務局を置く「かのやブランド推進協議会」という団体の運営です。このサイトでは鹿屋のあちこちの昭和の頃の写真を掲載しています。ご興味あれば。

解説では、水泉閣は料亭だったようで、芸者も抱えていたようです。また周囲は盛り場として栄えていたそうです。

水泉閣の周りは花街だった

さらに検索してみると下記のような記述も見受けられます。

■『鴨着く島』コメント欄より引用:http://kamodoku.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/post-35ad.html

私の祖父が北田池湖畔(現在の城山ホテルあたり)で大正時代(?)に「雁長」という料亭を営んでいたそうです。太平洋戦争後はその跡地が城山ホテルと割烹「亀鶴」(その後、旅館冨士代)となりました。(中略)昔は北田池のまわりには水仙閣、翠光園、雁長など湖畔に料亭が軒を連ね賑わっていたようです。

1983年の地図には水泉閣以外の料亭らしき建物は見つかりませんでしたが、他にも「翠光園」「雁長」との料亭があったとこのこと。やはり花街でした。

しかも、料亭雁長→観光ホテル城山&割烹亀鶴→旅館富士代の変遷も記載されています。してみると、現在も残っている観光ホテル城山の観光ホテルらしからぬ雰囲気と、旅館富士代を始めとする周囲の密集ぶりも待合の系譜なのでは?と薄々、勘づいた方も多いかもしれません。

海軍とともに発展した花街

次はこちら。水泉閣は士官専用の料亭として機能していたらしいのです。

■『瞬間ニュースに目が離せない!』より引用:http://syunkannews.blog64.fc2.com/blog-entry-22.html
元記事は産經新聞:『【大空にかけた青春 予科練の群像】(40)特攻待機』(現在はリンク切れ)

特攻隊に選抜された要員は当時、(中略) 鹿屋基地へ前進後、(中略)南西諸島に向けて出撃した。(中略) 内藤(※)は鹿屋基地へ前進するにあたって遺書をしたためた。内藤は憂さを晴らすため「鹿屋市内の水泉閣なる士官用の慰安所に出没した」としたうえで、「なじみの女性に散華した戦友の遺品を届けたりすると、彼女たちは激しく慟哭したものだった」と当時の鬱屈(うっくつ)した内面を綴っている

※筆者注:筆者注:特攻隊に選抜され終戦により出撃を免れた元特攻隊員。

以下の記載にも興味深いものがあります。

■『猫と錨の気ままなブログ』より引用:http://navgunschl.sblo.jp/article/36466126.html
[pe2-image src=”http://lh4.ggpht.com/-GyAp7cp-yhU/UyEpxkm4bqI/AAAAAAAAWJE/W1N4hGAYyXc/s144-c-o/%2525E3%252582%2525B9%2525E3%252582%2525AF%2525E3%252583%2525AA%2525E3%252583%2525BC%2525E3%252583%2525B3%2525E3%252582%2525B7%2525E3%252583%2525A7%2525E3%252583%252583%2525E3%252583%252588%2525202014-03-13%25252012.44.48.png” href=”https://picasaweb.google.com/111398820041318431637/qZRjG#5990114910996557474″ caption=”スクリーンショット 2014-03-13 12.44.48.png” type=”image” alt=”スクリーンショット 2014-03-13 12.44.48.png” ]

「水泉閣」 は(中略)海軍料亭の一つでした。昭和18年夏、鹿屋航空基地で、航空母艦 「瑞鶴」 の飛行部隊が、戦場出撃前の訓練に余念のない時であった。女房子供を故郷から鹿屋に呼び寄せて、旅館「鹿屋荘」に宿泊させていたが、(中略) いささか女房がうるさくなったので、(中略)心ゆくまで慰労の宴を張ろうということになった。場所は鹿児島市鴨池の料亭「水月」、参加者は鹿屋荘に女房を呼び寄せている中尉以上ということに決まった。

水泉閣は海軍料亭の一つ」とありますから海軍が重用していた料亭はいくつも存在したのでしょう。

北田町の旅館街は花街に付属する待合が起源

以上見てきたように、水泉閣は海軍が重用する料亭でした。また、料亭は水泉閣だけではなく、北田町は料亭が軒を連ねる花街だったようです。

料亭があり芸者衆も多かった、まして軍人が利用していたということは、待合(連れ込み宿)も間違いなく多かったはずです。もちろん、先の記載のように家族を宿泊させる旅館も多かったはずですが、料亭の周囲に旅館があったとすれば、家族用の宿泊よりも芸者を連れ込む宿としての用途の方が圧倒的に自然に思えます。(どんちゃん騒ぎの横に家族を置きたいとは思わないでしょうから)

北田町10番地の周辺に旅館が多い状況は、どうやら花街の周辺に位置する待合(として機能する旅館)にその系譜があるように思えてなりません。

将校は芸者と遊ぶ 兵卒は娼妓と遊ぶ

ここで遊郭、料亭街(花街)、特攻隊出撃基地、駅、市役所の位置関係をおさらいしておきましょう。
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■将校:北田町の料亭街・花街へ。芸妓と遊び、待合へしけこむ。花街は官公庁とも近い。
■兵卒:青木町の遊郭へ。娼妓と遊ぶ。川下・川沿いであり、花街と比べると悪所。

このような棲み分けが出来ていたようです。

「鹿児島県鹿屋 将校は芸妓を抱き、兵卒は娼妓を抱く」への3件のフィードバック

  1.  も一つ、思い出したい事を書きます。
     士官宿泊は『鹿屋荘』と言う旅館で、そこは北田交差点からすぐ近くにありました。
     現在そこは何も無くなり『ジェイズプラント』とか言うマンションになっております。
     同級生の母親が『鹿屋荘』で中居さんだったものですから、良く遊びに行きました。
     確か、自衛隊になってからも『指定旅館』だったような記憶があります。
     『水泉閣』では、昔々一度だけ食事をした事があります。
     一階の小部屋で、かみさんと飯を食いました。
     同じような小部屋がいくつもありました。
     値段は私たちが入れるくらいでしたので、高くはなかったように記憶しております。
     中央に広い階段があり、二階で海自の方々が宴会をやっているようでした。(笑)
     ちなみにそこいら辺をうちの父(海軍飛行予科練習生出身)は『武漢三鎮』と、呼んでいました。
     また、何か思い出したら、遊びに来ます。

    1. 今まさにそのジェイズプラントに住んでいる者です。海軍や海自に所縁のある場所に住んでいるとは思いもしませんでした。

      確かに基地にはアクセス便利な場所で、近くにはスナック等の飲屋街があります。

      鹿屋の地について調べていたところこのサイトを見つけました。これも何かの縁なのかもしれませんね。

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