『東京の性感帶』(昭和27年)復刻のお知らせ


〝輪タク屋のオヤヂ「未亡人でいい子が居るんです、どうですダンナ……」と氣をそゝる話をする…〟

昭和27年に刊行された東京都内の赤線ガイド、『東京の性感帶』を復刻(カストリ出版)しました。

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当著は東京都内の赤線地帯11箇所(+青線1箇所と街娼1箇所)の計13箇所を地図付きで紹介しています。収録された赤線地区は以下。

1.吉原
2.千住
3.鳩の街
4.玉の井
5.亀戸
6.新宿二丁目
7.新宿花園町
8.新宿その他
9.品川
10.洲崎パラダイス
11.小岩・東京パレス
12.新小岩・丸健
13.立石
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記事中では赤線設置の経緯、女や店の特徴、料金体系も書き添えられており、当時の発刊目的としては色街探訪ガイドであることから、多分に猥雑な内容ですが、赤線が現役だった昭和27年リリースという点からしても、赤線の名残が(都内であれば尚更)急速に消え入りつつある昨今、今回の資料は赤線を〝区域〟という空間の境界範囲から探る資料としては非常に有用なものとなり得るものと考えています。
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赤線区域の見極め

赤線跡探索をした方であれば誰でも思い当たる節があると愚察する次第ですが、疑わしい建物を見つけた場合、ここが果たして本来の赤線(娼家)であったのか?あるいは純粋な民家や旅館、スナック等に過ぎないのか?といった見極めの困難な状況にぶつかることは、少なくないことと思います。

ファサードが装飾的であったり、建物の一部に豆タイルやアールを纏っていただけでは娼家とは言い切れませんし、事実、遊郭・赤線を体験した街の古老から聴き取りを行うと、まったく関係の無い建物であったり、逆に全然目立たない建物がその実は娼家であったことを聴かされ、アヒャッ!と驚くことは珍しくないからです。

ここ数年、全国各地の遊郭跡・赤線跡を歩いて学んだ最も大事なことの一つは「見た目や勘〝のみ〟で判断してはいけない」ということです。

先にも述べたとおり、当著『東京の性感帶』には赤線区域の地図が添えられており、赤線(或いは赤線営業をしていた店舗の密集地)の範囲を元に、より高い精度での調査に大いに役に立ってくれそうです。

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新小岩、「丸健」を例に

新小岩を例に当著の内容を少し紹介してみたいと思います。

新小岩には「丸健」との通称・呼称を持つ赤線がありました。新小岩の赤線といえば、この「丸健」という名の由来が最大の謎であり、同時に最も興味をそそられるところです。

当著に拠れば、近在に多くの軍需工場が建てられ、いわゆる産業戦士のために保健組合が音頭を取って赤線を設置したために○の字に健を書いたのが由来となっている、といった趣旨が、なんと組合幹部自らの口を借りて綴られています。

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赤線「丸健」の存在した界隈。そこには今も密集したスナック群が存在しています。ただし、この地点は大きな通りを挟んで反対側(松島3丁目40番)である旅館やアールを持つ建物など状況証拠の揃っていた地域と異なり、比較的新しめスナック建物が建ち並んでいるため、「ここが赤線跡であったのか?」という判断や推理の難しい地点です。

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しかし、当資料の地図を元にすれば、この地点も赤線であったことが判明します。「赤線の範囲はどこからどこまでだったのか?」という赤線の境界は非常に重要なポイントで、吉原のように旧遊郭が今も地図上に、はっきりとその街区を留めている遊郭・赤線地帯であれば問題は無いのですが、今や住宅地などに埋もれてしまっている新小岩の様な遊郭・赤線地帯となるとそうはいかず、今回のように何らかの方法で赤線区域の範囲を調べる必要が出てきます。

その点で、当著のように地図が附された資料というのはとても貴重です。

[pe2-image src=”http://lh3.googleusercontent.com/-kVsZZ0uyiMg/VTM9dV4FnoI/AAAAAAAAX2Q/Ua2WkNmevng/s144-c-o/013.png” href=”https://picasaweb.google.com/111398820041318431637/uuWqIL#6139318291334012546″ caption=”組合事務所の位置も判明する” type=”image” alt=”013.png” pe2_single_image_size=”h420″ pe2_caption=”1″ ]

[pe2-image src=”http://lh3.googleusercontent.com/-uv_Ulvg-Wyg/VTM-DAzzIII/AAAAAAAAX2Y/xHncX6quzhw/s144-c-o/B9ybwM1CcAEc6jT.jpg” href=”https://picasaweb.google.com/111398820041318431637/uuWqIL#6139318938513907842″ caption=”地図と同じ地点に今も自転車屋がある” type=”image” alt=”B9ybwM1CcAEc6jT.jpg” pe2_single_image_size=”w420″ pe2_caption=”1″ ]

ネットは一次情報になり得ない

少し話を転じたいと思います。

先に挙げた、
・丸健の由来
・スナック街は元赤線かどうか?
といった点は、現在ネット上の多くのサイトで掲載されいる情報と大きな食い違いがあります。

まず「丸健の由来」について、
・赤線業者による「健康」「健全」といったイメージの演出
・「丸健組」が仕切っていたから
といった説が多くのサイトで流布されています。

恐らく、この説は上村敏彦『花街・色街・艶な街』を参考にしたものでしょう。

そして先に挙げたスナック街も、漠然とした勘めいたものではなく典拠を明らかにして明確に元赤線と言い切っているサイトは見つけることはできず、妖しげな雰囲気から、「赤線の〝雰囲気〟を残す」といった言い方等でボカしているようです。

いずれの説が正しいのか、今後より一層の調査が待たれるところですが、自戒を込めて注意を払いたい点は、本来自由に調査し、自由な発想で発信することを可能にしたはずのネットにおいて、新小岩の赤線を例にすれば上記の上村敏彦氏の著作を頂点とした説に一辺倒となっていることです。

口幅ったい言い方になりますが、先の説にしても、ほぼ上村氏の記述をなぞるかたちでありながら参考文献を載せず(結果的には)自分の調査結果のように見せてしまっているサイトも多いように見受けられます。それどころか、そいういった文献元を記載しないサイトをさらに孫引きしてしまい、もはや劣化コピーの状態も全く珍しくありません。

現在、多くのサイトが取り上げるようになった『遊郭』『赤線』といったテーマですが、それらテーマに限らず、現状のネットにおける情報の取り扱いに課題があるとすれば、「ネットからネットへの情報の転載」「転載された情報を更に転載」といったサイクルによって、恐ろしいスピードで情報の劣化が起きていると、私個人としては痛感・悲観しています。

ネットによって、情報の発信ハードルが引き下げられた結果、市井から生まれた情報は多くの調査やその結果を元にして唱えられる説ではなく、ただただ劣化した情報の複製物だったのかもしれません。

(私自身、過去の記事を振り返ってみれば、全くろくでもない記事ばかりで穴を掘って埋めたくなりますが、)「誰それが悪い」という不毛な議論に陥ることなく、そもそも「遊郭・赤線の情報が不足している」からこそ助長されているこの状況であって、だからこそ今回のような有用とおぼしき資料を復刻したいというのが一連の復刻の動機です。

引き合いに出した「丸健の謎」も決して当著が100%正しいとは言い切ることはできませんが、少なくとも赤線現役当時に発行された記事である事実は見逃すことが出来ず、また引いては、参照すべき資料が多いことでより多方面からの「知の集合」が起き得ることを期待したいと思っています。

書誌情報

・題号:『東京の性感帶』
・原著者:人間探究編集部
・復刻発行:カストリ出版
・文字数:15000文字
・仕様:A5変形 / 19頁 / 中綴じ

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