『戦後新たに発生した集娼地域における売春の実情について』(昭和30年)復刻のお知らせ


 昭和30年、当時の労働省が売春街の実態を実地に調査・分析した報告書、『戦後新たに発生した集娼地域における売春の実情について』を復刻しました。
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■書誌情報
・題号:『戦後新たに発生した集娼地域における売春の実情について』
・原著編者:労働省婦人少年局
・文字数:約45000字
・仕様:B5 / 80ページ / 中綴じ
・発行:カストリ出版

 敗戦から10年目を数えた昭和30年。数度の流産を経ながらも、翌31年に成立することとなる売春防止法。世論が売春禁止へと傾く中、やがて売防法施行の渦に巻き込まれていくこととなる売春街の実相を捉えた貴重な資料です。

「赤線」以外の売春地区

 戦後の売春史、とりわけ売春街については、いわゆる〝赤線と青線〟の文脈で説明されることが殆どでした。

 しかしながら、昭和30年前後においては、進駐軍が各地に駐屯し、売防法の成立を目前に控えたこの時期、売春街を語るには赤線だけでは言葉足らずと言わざるを得ません。戦前の都市部には既に多く見られた密淫売なども含む売春の数多な形態が、戦後の社会情勢を背景としてこれまでのどの時代よりも横溢してきた敗戦直後、そしてその後の10年間にも売春街の傾向は刻々と変化しており、売笑を目的とした成立した地帯・街区は、決して赤線と青線のみでは無かったことを、今回復刻した『戦後新たに発生した集娼地域における売春の実情について』が裏付けています。

 当資料は、昭和20年代当時の労働省が、集娼地帯の業者と売春婦の実情を探る目的で、全国の集娼地域50箇所を実施に調査した資料。調査とその分析において、「赤線と青線」と対で「基地」を取り扱っている点が最も注目に値します。

 つまり、戦後20年代の集娼地域を、地政的条件で一義的に二別するならば、赤線青線と共に基地こそ相対して語られるべき存在であることを、当資料の調査主体である労働省が示唆しているからです。

 調査対象とした集娼地域の売春婦166人に対しては、懇談会と称して調査員が聴き取り調査を行い、掬い上げられた声から当時の売春の実態傾向を分析しています。

戦禍残る10年間を売春婦として生きた女たちの実相

 〝戦後〟という言葉が余りにインパクトが強すぎるためか、戦後~売防法施行に到るまでの売春史に於いても、例えばいわゆる「戦後の売春」という、便利ながらもやや実態を把握しえない紋切り型の言葉で語ってしまいがちです。当資料は、昭和20年代を更に細分化し分析。敗戦直後の旧遊廓業者によるRAA設置、24~25年前後における闇市のマーケット業者が増収を狙って娼婦を秘かに置いた事例が溢れ、そして26年以降、進駐軍や復興事業需要に応えるかたちで近隣に併設された売春宿などなど…。当時の変遷を知る資料としては第一級のものと言えます。

 当資料は、取り締りのための基礎資料を目的としたものでは無く、あくまで当時の労働省が、社会問題となっていた売春問題を社会的弱者となりがちであった女性の救済を目的として実態把握に努めたものでした。であるからこそ、調査対象に寄り添おうと努める姿勢があって初めて把握し得たであろう、女たちの生々しい声が行間から漏れ伝わってきます。
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 先にも述べたように、調査員が懇談会を催し、売春婦から実施に調査しただけあって、「売春婦の教育レベル」、「売春婦の家族構成」など、今では考えられない生々しいアンケートもありますが、一面、昭和20年代を売春婦として生きた彼女たちの等身大の姿がそこにはあります。

今もどこかに遺る娼家

 当著には当時調査された集娼地帯の地図が収録されています。遊郭あるいは赤線、その他の色街跡をフィールド・ワークする人にとって、当資料で最も有用なものかと思われます。
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 実際に当著を入手した2014年、九州のとある地域を調査しました。地図には夥しいほどの娼家を表す点が穿たれていたからです。結果的には、どのサイトや書籍にも掲載されていないものの、外見からは娼家とおぼしき建物がありました。要所要所にあしらわれた艶めいた意匠を目の当たりにした衝撃は今でも忘れません。
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 以前書いた記事にもあるように、多くの遊廓赤線建築は早晩に大部分が消滅する、そういった予感めいたものがあります。私たちは最後に遊廓赤線建築を目の当りにできる最後世代として、何かしらこの資料が役に立てばと思います。

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