『全国女性街ガイド』の新装版をつくりました


ここ数年は、遊廓・赤線その他紅灯街・色街・歓楽街に関する資料の復刻を進めてきたのですが、その取り組みの中で2014年に初めてリリースしたのが、この『全国女性街ガイド』でした。(詳しい内容はこちらに纏めてあります)
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ご存じの方には繰り返しの説明となってしまいますが、当著は売春防止法の施行を間近に控えた昭和30年に自由国民社から発行された書籍です。当時の默認政策を受け、全国には赤線を主として売春街が公然と営業していました。これらの売春街をその足で訪ね、そして女の喜びと哀しさに肌を重ねてガイドブックの体裁で記録を残したのが当著、そして当著の著者が渡辺寛(大正2年生まれ)です。

渡辺寛は当著を上梓した昭和30年から31年にかけて、自由国民社などへ赤線関連の著作を残していますが、それ以降は消息を絶ち、不明とされてきました。当著発行から既に60年以上経過していますが、版元である自由国民社もやはり渡辺寛の消息は掴めなかったようです。私自身、作品を読み込むほどに、この作品を残した渡辺寛がいかなる人物だったのか興味を惹かれて、消息を追い続けてきました。

昨年の2015年、秋田県の荒川鉱山跡に併設されていた松田解子文学記念室へ偶然から立ち寄り、配置された松田解子研究家が記したパンフレットを手に取ったことから、謎がほぐれていきました。渡辺寛は松田解子のとある作品に僅か数行ほど登場しています。松田解子の研究家ならば、渡辺寛について何かしらご存知では無いかと、僅かばかりの願いを頼りに、そのパンフレットに記載された連絡先へコンタクトを取りました。

結果的はその研究家の方を通じて松田解子の息女とお会いしました。渡辺寛から差し出された暑中見舞いが松田解子の書簡に一葉だけ見つかり、ついに謎の赤線探求家とされてきた渡辺寛に行き当たることが出来たという次第です。(蛇足ながら、戦中、松田解子は空襲に遭い、戦前の書簡は全て焼失したとのでした)

現在、私は渡辺寛が遺した各原稿を集め、渡辺寛全集を編集しています。このブログを読んで下さった方へ、いくらか全集リリース前に結論を先取りしてお伝えすれば、私が訪ねたとき既に渡辺寛は没後でした。しかしながら渡辺家家族のご好意で家族インタビューも実現し、貴重な写真や日記帳も借り受け、渡辺寛の業績に恥じない本をつくろうと意気込みだけは十分に作業の手を動かしているといった塩梅です。今年、蝉の鳴き声を聞く前には渡辺寛全集をリリースしたいです。

まずは先立って、私が復刻作業をする切っ掛けとなった『全国女性街ガイド』の装幀をしっかりしたものにしたいと思いました。渡辺寛の業績と比するのは烏滸がましい話ですが、私自身も全国各地の遊廓跡や赤線跡、それから現役の売春地帯の撮影を行ってきましたので、渡辺寛の主著であるところの『全国女性街ガイド』を私の写真で包むことは、渡辺寛の業績への敬意の表し方としてこの上ないものと信じて、改めて装幀することとしましました。

渡辺寛が登場する松田解子の作品から、その下りを引きます。戦前、昭和10年のできごとを回想しての一文です。

黒羅紗マントの頭のさきからゴム長まで雪まみれの渡辺寛さんであった。渡辺さんは江東で活動をしながら小説なども書き、「文学評論」にも短編「詫びる」が載り、わたしにも印象つよいひとだった。が、三和土でマントの雪をはらった渡辺さんの顔が異常に興奮していた。部屋にあがるなり大きな吐息といっしょに渡辺さんは告げた。
「昨夜浅草に火事があってハーさんが死んだんです。それでとにかくあなたがたに、しらせに、……」

いわゆるプロレタリア文学作家でもあった渡辺寛は、思想弾圧の影に脅かされていたのですが、松田の息女、橋田史子はこの下りを指して「渡辺寛さんは命懸けで母(松田)に伝えに来てくれたのでしょう。渡辺寛の名を聞いたことはなかったが、母が大変お世話になった方に思います」と教えて下さいました。

以上が新装版をつくった私の想いです。(文中敬称略)

二〇一六月三月 渡辺豪

■全国女性街ガイド書誌情報
・渡辺寛 著(渡辺豪 編・解説)
・発行:カストリ出版
・仕様:新書変形(172×105) / 261ページ / 並製 / モノクロ
・定価:本体 5,000円 + 税

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