北海道森:森町遊郭3「森桟橋とイザベラ・バードの歩いた道」


森は湊町でもあったらしく、桟橋跡があります。函館本線で乗ってくると森駅で乗換になるため、海に見える石碑を覚えている方も多いのでは?

桟橋跡を示す案内板が設置されています。
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引用します。

史跡 森桟橋跡
明治5年、函館〜森〜室蘭〜札幌間(札幌本道)の新道建設工事が開始され、翌6年には全長255メートルの森桟橋(波止場)が完成しました。脚材には栗の木(芽部栗)が多く使われ、また当時鷲ノ木村で湧出していた石油を橋脚の防腐剤として使用しました。(総工事費2万円)
完成とともに定期便(汽船稲川丸)が運行され、当時の森村は旅人等の往来で大変賑わいました。
明治14年(9月)、明治天皇本道御巡幸時にはこの桟橋より上陸されました。
明治26年、函館〜室蘭間の定期航路が開始され、一時廃止となりますが、同41年民間会社によって運行が再開されました。しかし、昭和3年に長輪線の鉄道(長万部〜輪西間)が開通したため船の利用者が減り、ついに再開後20年を経たところで廃止となりました。
現在跡地には、朽ち果てた橋脚材が数十本と「明治天皇御上陸記念碑」が残っています。
平成2年3月
森町教育委員会

あのイザベラ・バードもここから内浦湾を渡り室蘭を目指しています。駅前は寂れ切っていますが歴史を感じさせる街ですね。宿場町、港町、そして現在も乗換駅ということから、昔はそれなりに栄えていた事を感じさせます。
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案内板から引用します。

イザベラ・バードが歩いた道
1878年(明治11年)8月12日にイザベラ・バードは、函館を出発し、七重村、峠下村、菫菜沼を経て、森村に入りました。当時の森村は、森~室蘭間に定期航路が開かれ、旅人で大変活気にあふれていました。森村の旅館で一泊し、翌日「森桟橋」から室蘭港へ噴火(内浦)湾を横断し、一路、アイヌの人たちが暮らす平取集落を目指しました。

~明治初期の森村の風景~「日本奥地紀行」より
私はこの宿屋が気に入っている。ここからは火山がたいそう良く眺められる。火山はこの湾の一つの岬となっている。森には全長345フィートの未完成の桟橋があるが、投錨地はない。湾口を横断する蒸気連絡船はここからでる…。
「汽船だよう」という大きな叫び声が、船はすぐ出るよ、という知らせとともに、隣室で朝から碁を打っている人たちにも、誰にも彼にも響いてきた。私たちは焼けつくような日照りの中桟橋へ急いだ。

イザベラ・バード(Isabela L.Biad:1931-1904)英国生まれ。当時47歳
イザベラ・バード(Isabela L.Biad)は、1878(明治11)年に北海道を初めて女性一人で旅した英国人旅行家。彼女は、その類稀な旅行記『日本奥地紀行』(Unbeaten Tracks in Japan,1885)によってまだほとんど知られていなかった北海道と東北地方とを世界に紹介しました。特に、日本の少数民族として古くからの文化と伝統を守り、外国人にも分け隔てない思いやりを示したアイヌ民族を高く評価していました。
「イザベラ・バードの道を辿る会」では、この優れた女性旅行家による函館から平取までの足跡を辿って、彼女の歩いた道を新たにフットパスとして再発見し、多くの人たちに歩いてもらいたいと考えています。

以上です。Google Mapで見ると桟橋の跡が少しだけ出っ張っているのが分かりますね。
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